記事更新日 : 2017.3.29

松林鍛冶屋さん

音に感じる魂

ゴォォォォ
大きな音が響く工場をのぞき見ると、どっしりと据わった機械の奥に、一心に鎚を振り下ろす姿が見える
「こんにちはー!」思い切って声を掛けると、おじさんは顔を上げ、こちらへやってきた
「いま鍛えているから(ちょっと待っていて)」
その一言を伝えるために わざわざ手をとめて下さったのか
なんて紳士なのだろう・・・と、初っぱなから感動する

ゴォォォォ
カッ カッ カッ
カン!・・・カン!・・・
タッタッタッタッタッタッタッタッ

順々にいろいろな音が聞こえる
力強い音、小気味よい音、すべてに気迫を感じる
ああ ここは気持ちのいいところだ

モノの存在感

松林鍛冶屋さんで主に扱っているのは、鍬(クワ)や鋤(スキ)、鎌(カマ)、包丁、
それに筍探しや山芋堀りに使う特殊な道具などだ
燻したような渋い銀色に輝く刃物には「 」の銘がそれぞれに刻んである

柄は、鍬には樫木(カシノキ)、包丁には朴木(ホオノキ)を用いている
カシノキは、樫木と書くくらいギッシリと詰まり粘りがあって折れにくい
農作業にはぴったりだ
ホオノキは、水に強くきめ細やかな手触りが好ましい
殺菌作用がありヤニも少ないことから水回りの道具に向いている
珍しい黒文字(クロモジ)も使っている
加工が難しいが、その粘りや耐久性は手道具の材料として最高だ

なるほど、鍛冶屋というものは金属だけでなく木の材質にも通じているものらしい
様々に交錯するこだわりの積み重ねが生み出すのだろうか
ここにある道具は ひとつひとつに存在感がある

待つ間にお客さんが現れた
奥様と親しげに会話を交わしている
お隣の鹿児島市吉田町から、2〜3ヶ月に一度は足を運ぶのだとか
「ここがなくなったら困るよ」
そんな重い台詞をさらりと笑いながら残していく

色で測るんだ

ここ松林鍛冶屋は蒲生郷に一軒だけ残った鍛冶屋さんだ
蒲生郷どころか姶良・伊佐地域でも現役でやっているのはウチだけになった
そう語るご主人は昭和5年生まれの御年87歳
生涯現役だよと語る姿に特別な気負いはなく、至って自然体だ

鍛冶屋の仕事の主役はとにかく鍛造(たんぞう)、つまり鋼(はがね)を鍛えることに尽きる
どろりと溶けて固まった鉄は、実は隙間だらけ
それを再び熱し叩くことで、隙間をなくすと共に方向を整える
整った金属は美しい
美しいだけでなく強い
だが、整える為の労力は半端ではない

ご主人はいう
「色でね、見るんだよ」
温度によって色が変わるから、その色を憶えておけばいいのだという
鉄を鍛えるのに最適な温度は摂氏780度
橙色を強くしたような、輝きを放つ色だ
「こうしてね…」
紐を手に取り動かすと、バタンと音がして薄暗かった工房にサッと光が差す
また引くと、工房は元のほんのり薄暗い空間へと戻る
その紐は天窓に掛けてあった板戸の覆いを開く仕掛けなのだ
時間や季節によって見え方が変わる事のないよう、
工房全体の明るさを抑えているのだという
「おかげさまで、目も体も元気よ」
光の加減だろうか、印象的なブルーに輝く瞳でご主人は控えめに自らを誇る

研ぎ(とぎ)

鍛造を終えたご主人は、堀のようなその場所から出て
おもむろにゴムのカバーを袖に付けた
向かうのは、原始時代のお金のような形の石の前
直径は80cmほどもあるだろうか
そこへ、レトロ館たっぷりの味のある蛇口をひねり水を出す
スイッチを入れると、石の輪はゆっくりと回り始めた

この大きな輪っかの正体は巨大な砥石だった
天然砥石が一台と人造砥石が一台
天然ものは長崎は大村のもの
有名な産地だが、このように大きなものはもうあまり採れないという
人造を主に使うようにしているのだと話されるご主人は
いつのまにかびしょ濡れになっている
そう。回ると石に刃を当てると自分に向かって水がとんでくるのだ
これが真冬の作業だったら…と思わず想像し、ブルッと身体が震えた

手の感覚を頼りにした繊細な研ぎ
わずか5分ほどの間に 鋼は見事な刃物へと変貌を遂げてゆく

子供貯金

ご主人の松林茂さんは昭和5年に産声を上げた。蒲生生まれの蒲生育ち
同じく鍛冶屋だった父親の鎚音を聴きながら少年時代をすごす
「藁切りの刃をよく研いじょったよ(研いでいたよ)」
当時は子どもが家事労働の一翼を担うのはあたりまえ
牛や馬に与える草を刈るのに、切れの悪い刃では自分が難儀をする
刃物はいまよりもずっと生活に密着した道具だったのだ

九歳の頃には すでに父親が刃を鍛える作業の相方をしていた
そんなに子どもの頃から!?と驚くと
「戦争だったからね。弟子を兵隊にとられて人手がなかったのよ」
と淡々と語る
「孝行息子だったからね」そう言ってニヤリと笑う顔は
いまだに少年の面影を残している

その頃 学校では子供貯金と称してお金を集めるようになった
「小遣いが兵隊さんの鉄砲の弾になるのだ。御国の為にお役に立てる!」
純粋な松林少年は、しかし親に頼らず即座に新聞配達の仕事を始める
一軒7銭、37軒の配達から始め、慣れるにつれ件数を増やしていった
雨の日も風の日も、暗いうちから新聞を配り歩く中で
少年は鋼を鍛えるに十分な自らの心身を鍛え上げていったのだろう
9歳から15歳まで、結局新聞配達の仕事を6年半続けた
実入りのほぼ全額は「貯金」となって消えたが、
少年にはお金に換えられない「財産」が残った

そして鍛冶屋へ

海軍に志願したものの徴兵を受ける前に終戦
農林学校の一期生だった少年はこれで勉強ができると喜んだが
父親から突然の宣告が降ってくる
「学校やめぃ(学校を辞めなさい)」
つまり、学業なぞ修めなくてもよいから家業を継げということだ
少年は(旧制)中学までは出たいと懇願した
100回ほど頼み込み、ようやく2年生まではと許しが出た
当時、父親に逆らうというのはどれほどの勇気がいることだったのか
想像すら容易ではない
「本当はね、卒業までいたかったんだけど・・・」
そう語るご主人の目はどこか遠くを見つめていた

昭和21年、16歳にして本格的に修行を始める
以来70年以上、この地で鍛冶屋として生きていくことになる
戦後の復興と町の賑わい、そして再び静かな町へ
この町が移り変わっていく間、ご主人はずっとこの郷で鋼を鍛え続け
そして変わらぬ鎚音を響かせてきたのだ
移りゆくものと変わらぬもの。二つが相まって、いまの蒲生郷をつくっている

オーダーメイド

「いまこれを預かっているんだけどね」
そう言ってご主人が出してきたのは除草鎌
長い柄の先に小さな頭がついている
見慣れない形だな…と思ったら、それもそのはず
腰が痛いというお得意様の為に、かがまずに除草ができるよう
考え出したものだった

「こっちはね、同じものが2つあるんだよ」
手に取ったそれを、まるで入院患者のようにやさしく扱う
よく使う道具だから、交互に預け続けるなじみの客がいる

「これはホラ、元の長さはこれよ」
次に手に取った筍探しの道具は、元の半分ほどの長さになっていた
そこへ新しく継ぎ足して再生する
ここの形が大事、見てごらんと差し出された先端には
なるほど、わずかな窪みがスーッと長く通っている
よくよく見なければ見落としてしまいそうなこだわりの部分
その小さな工夫が道具の使いやすさをグンと上げ
愛着のあるひと品へとなってゆくのだろう

昔、市で買ったものだけど…と銘をたどって訪ねてくる方がいる
東京からやさしい手紙と共に、同じものがほしいと注文が来る

機械がつくる画一的な商品ではなく
作り手の真心がこもったモノ
その背後には必ず使う人がいる
使う人の顔を思い浮かべることができるからこそ
ご主人は長い年月、誠心誠意を尽くした仕事を続けてこられたのだろう

仕事への誇り

「ほら、見てごらん」
ご主人の目線を追って顔を上げると、垂れ壁の高い位置になにやら
黒光りするものが飾ってある
家紋のような模様だが、ゆうに30cmを超える
鍛冶屋の心を象徴する、いわばロゴマークの立体版だ

真ん中の部分は矛、左はカマ、右は蔵の鍵を模したもの
それぞれに平和、実り、豊かさを象徴する

先代は毎年、新春(正月)にこれを新調していた
いまは毎年ではないけれど、それでも数年に一度は作り替えるという
この工場へ移ってきてから半世紀以上、ずっと同じ壁の同じ位置に
この象徴は掛けられ、二代に渡る主人の仕事を見守っているのだ

弟子入り希望の人が来ても、断ってきた
もうこれからは鍛冶屋だけでは食えない
若い人の人生に責任は持てないから…
そう語る口調には諦めも憤りも全く感じられない

淡々と現実を生き、自分のできる限りで人の為に尽くす
そんな一職人の姿を目の当たりにできる幸せと
いつの日か見られなくなってしまう寂しさ

せめて私たちは、違う形でご主人の真心を次世代に繋げたい。
そんな小さな決意まで自然に心に沸いてくるような
不思議な力を持った松林鍛冶屋の工房である。


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