記事更新日 : 2017.3.27

小山田辰夫さん

小山田産業 小山田辰夫さん

あくまでも自然体 花の香りのする菜種油を作り続ける

独特の香ばしい香り、よくよく嗅覚を働かせると花の香りもひそんでいる。口に含むとすんなり舌に馴染む。一度使うと誰もがその美味しさのとりことなる蒲生の〝たね油〟。

その菜種油の製造所、小山田産業の小山田辰夫さん(64歳)に話を聞いた。

春、菜種を持ち込んでくる農家との再開が楽しみ

 「一冬かけて栽培してきた菜種を春の訪れとともに油にして、次の田んぼ仕事に向かうー。この農作業の切り替えの時期、毎年決まって菜種を持ち込んで来られる農家の皆さんと会うのが楽しみなんです」

 原料の菜種を仕入れて、油を製造するだけでなく、この話にあるように近隣の農家が持ち込む菜種を油にして持ち帰ってもらう委託加工も経営の柱の一つだ。

 「今ではスーパーマーケットの棚には輸入した原料で作った様々な油が並んでいますが、昔はそう簡単に手に入るものではありませんでした。食用の油は自分で栽培した菜種で一年分を用意するのが当たり前でした」

 だいぶ少なくなったものの、今でも春になるとお馴染みさんが顔を見せてくれる。この委託加工分が10年前ぐらいまでは、10トンを超えていたが最近は3トンほどにまで減ってしまった。

 「農家の皆さんも歳をとってやめる人も多いし、跡を継ぐ人がいたとしても手間のかかる菜種までは作れない。仕方ないですね」

そもそものスタートは樟脳の製造業でした

 現在では、菜種油の製造販売と委託加工を専業とする会社だが、そもそものスタートは樟脳の製造業だったそう。いくつかの山を持って山林経営をしていた祖父が、山から木を切り出して木材市場に出すだけでなく、伐採したものの一部である楠を原料に樟脳を製造する工場を蒲生市街地の西の外れ、北中に建てた。そして、近くに油を絞るところがなく困っていた農家に頼まれ、工場の一角に機械を据えたのが菜種油の委託加工を始めるきっかけとなった。

その後、樟脳の生産をやめてしゃもじや箸、竹刀の原材料となる竹材加工に業態が変わってからも油の委託加工だけはやめなかった。

 「頼まれて籾を白米にする精米所が村々にあったのと同じ。菜種を作る人がいる以上加工場が必要だった」

 30人ほどの職人を抱え工場が手狭になったころ、現在地の上久徳にも工場を建てた。小山田さんが生まれた昭和27年には法人化して株式会社となる。社名が小山田製油などではなく「産業」となっているのは会社の定款に山林経営や竹材加工などがあるためだ。

Uターンして寡黙な父親の下で修行

 子供の頃から、工場に出入りして様々な手伝いをしてきてこの仕事の面白みも感じていた小山田さんは、高校を卒業すると名古屋の機械メーカーに就職する。「将来家業を継いだ時に機械のメンテナンスぐらいは自分でできるようにするため」だった。蒲生町にUターンしてきたのは25歳の時。しばらく蒲生町役場で社会教育指導員として働いた後、30歳を過ぎてから父親と一緒に働くようになった。父親の下での〝後継修行〟が始まったわけだ。

 ところが昔気質で職人肌のお父さんはとにかく無口。何か教えを請うても「適当でいいんだ」としか言わない。父親の背中、手つきをみて覚えるしかなかった。「不思議な人でした」。

油の製造は月に一回、濾過器のフィルターは蒲生和紙

 小山田産業で仕入れる菜種の量は年間約100トン。地元鹿児島と青森、二つの地域の菜種をブレンドしている。もちろん無農薬栽培で非遺伝子組替えのものだ(輸入菜種のほとんどを占めるカナダ産はその全てが遺伝子組み換えのものだという)。

 油の製造作業は月に一回、3日ほどかけ一ヶ月分を作る。残りの日は主に関東圏のデパートで開催される鹿児島物産展などに出向く。物産展などへの出店は年間、15回ほど。壁にかかった2月の予定表を見ると、ほとんどが出店予定で埋まっていた。

菜種油の製造過程は次の通り、
種をふるいに掛けゴミを落とす
鉄製の釜で煎る(釜が乗る煉瓦の竃はお父さんと二人で作った)
圧搾機で搾って原油と油粕に分ける
原油をタンクに貯めお湯で洗った後、一晩おいて不純物を沈殿させる
⑤上澄みの油に熱を加えて水分を完全に飛ばす
⑥そして、濾過。

油を濾す濾過器のフィルターは地元の蒲生和紙だ。この蒲生和紙を仕込んだ濾過器から、黄金色の香ばしい菜種油が染み出してくる。「この瞬間が一番うれしい」。手作り、手作業ならではの充実感だ。(50kgの菜種から10kgの油しかとれない。歩留まりとしては20%、輸入品で大量に製造しているものは化学薬品を使って、ほぼ100%を抽出するのだという)

あくまで自然体で楽しんで

 小山田さんのもひとつの顔が、「蒲生郷 太鼓坊主」の結成以来の中心メンバーとしての顔だ。結成30年を超える太鼓坊主は、「大楠どんと秋祭り」に毎回、韓国の高校生を迎えるなど町の国際交流事業を主導し、地域おこしの中核を担ってきた。サントリー地域文化賞などの受賞も数多い。

「自分たちで地域おこしをやっている自覚はなかったが、新聞などが色々褒めてくださるものだから、だんだんその気になってきた」あくまで自然体で活動してきた。「太鼓坊主は自由なんです。いつも変化があって楽しい」太鼓の話になると、トレードマークの8時20分の眉がいっそう下がる。楽器は篠笛担当だ。ダジャレが売り物のMCもと、水を向けると「太鼓に比べて笛は目立たないので、喋りだけでも目立とうと思って」と笑った。

 「たね油づくりは女房と二人の隠居仕事、楽しんでます」

 話の端々に「楽しい」という言葉が出てくる。郷土の味と郷土芸能を代表する菜種油と太鼓坊主、この両方ともを楽しみながら、肩肘張らずあくまで自然体でいくことにしている。

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